top of page

検索


葵に込められた思い
葵祭に使用される葵という植物が境内に生えているのが、街からは少し北に離れた上賀茂神社。物の怪の気配さえ感じる静謐な空間に、春の訪れとともに芽吹き、晩秋には枯れて葉を落とします。
もとは葵のことを”あふひ”と書かれていたようです、”ひ”とは陽であり神を指したよう。春の陽光が葵の葉を照らし、葵のある山は光って見えたと聞きました、まるでそこで”神とあふ”かのごとく。


共に生きる
パンデミック時だからこそ発する言葉に、その人となりが顕れるような気がします。平時であれば繕えたものも、緊急時にはそれはかなわない。どのように悩み苦しみ、愉しみ喜び、貴重な時間を費やし生きてきたのか。民衆が求めている声を、実感として理解できるのか。


清と濁
大切なかたが逝った。 会社員時代の社長、そして親友の父。 会社を離れたところでも、お会いさせていただく機会があった。 親友の父とはいえ、一介の会社員である僕にとっては雲のうえのかた。 親友の結婚式では、わざわざご挨拶をいただいた。 プライベートな会食にもお招きいただいた。...


キッチンペーパーとおじいさん
神奈川県三浦半島の小さな駅前のスーパーでの2年半前のこと。 感染症の影響でマスクや消毒液だけでなく、一時的にトイレットパーが店頭から消えた、その時に同時に消えたのがキッチンペーパー。 店頭には、キッチンペーパーはおひとりさまひとつだけという注意書き。 僕は食料品を買ってレジに並ぶと前には杖をついたおじいさん。 おじいさんが会計をしようとしていたら、レジ係の人が キッチンペーパーはおひとりさまひとつまでなんです と、諭していた。 係の人の言葉には棘はなく、こんな事態だから我慢してね、というニュアンスがあった。私も仕事としてルールは守らなきゃいけないの、といった感じで、じゃこれは返してきますね、と。 僕が察するに、お爺さんは杖をついて歩いてきた。どれくらいの距離なのかは分からないけれども、杖をつくような高齢者が外出するというだけでも苦労だろう。 じゃあ、そのキッチンペーパーは僕がひとつ貰いますよ、と声をかけた。 振り返るおじいさんは何ごとか不明の眼差しだった。 レジ係の人は、黙って僕のカゴにキッチンペーパーを入れようとしていた。...


生活実感に基づく仮説
環境も立場も違ういろいろな方の考えをオンラインで聞いたり、話したりするなかでこれから大切だと確信しているものがあります、それは自ら仮説をつくれるのかということ。
出来上がったものに対して評論するのではなく、自らが情報を収集し、自分なりに解釈し、気になるところは調べて、自分なりの意見を仮設として構築することができるのか、ということ。
bottom of page



