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共に生きる

スタジオジブリ「もののけ姫」での印象的な台詞。 「サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう」。


封鎖そして自給は未来なのでしょうか

社会の仕組みが変わる、といわれている現状。その混沌とした最中を生きている私たち。感染を抑制するために、他国からの入国や国内での移動も制限しています。これまで製造を他国へ依存していたものを国内生産へと切り替えようとしています。これは建設的な自給社会への道なのでしょうか


過去と未来、そして混沌

あたりまえですが過去は消すことができません、過去というキャンバスのうえに未来は描かれていきます、未来だけが存在するということはありえません。けれども、過去にとらわれ過ぎていては、新しい未来を描いたり感じたりすることはできないでしょう、未来はまったく今とは違う存在になることもあり得ます。過去とは、未来のなかから振り返るものなのでしょう、時間軸での概念もまた現在は不要なのかもしれません。


ではの守

新たなプロジェクトを立ち上げる時に必ず現れる「ではの守」、「この会社では・・・」「この地域では・・・」。本当に変えるという意識があるのだろうかというくらいに保守的な発言を繰り返す人。でも今なら、すこし解るような気がします、具体的なイメージが描けないのに変わることへの不安がそうさせるのだということを。自分の居場所が見つけれないがゆえの防衛本能だということも。けれども未来を描くとき、未来を迎え入れるとき、自身の狭見にとらわれていては置き去りにされてしまいます。


リーダーの生きざま

今ではほぼリアルタイムに世界中の情報を得ることができます、そして世界各国の首脳のメッセージも。それらを聞けば、いま自らが求めているメッセージというものはどういうものなのかが解ります。パンデミック時だからこそ発する言葉に、その人となりが顕れるような気がします。平時であれば繕えたものも、緊急時にはそれはかなわない。どのように悩み苦しみ、愉しみ喜び、貴重な時間を費やし生きてきたのか。民衆が求めている声を、実感として理解できるのか。


相反している様々なこと

これまで他利といえば滅私奉公、自我を抑えて社会へ貢献する的なものでした、パンデミック時には自身の感染を防止することが、他者を社会を救うということを学びました。自らの利を優先することが全面肯定されています、そもそも自らが余裕がない中では、他者を慮ることはできないということは言われ続けてきたこと。表層の美化ではなく、本質が顕れているように感じています。パンデミック時には、他人を社会を救いたいなら交流しないこと、つまり社会という共同体を離れるということ。そして、社会を離れ経済活動を休止したことで、皮肉にも地球は近年ないほど健やかになっています。空も水も澄んでいます、人間が活動しないことが地球環境を救うことも明確になりました。


柔らかなココロ

最後は決めることです、自らが。政府も自治体もそして他の人をアテにしていても、自らの健やかな人生を担保してくれるものではありません、いまは。自身で、考えて感じて、感じて考えて、繰り返し感じ考え続けること。 映画「もののけ姫」での印象的なもうひとつの台詞「曇り無き眼で見定め決める」。 曇り無き眼とは、柔らかなココロのこと。自身の経験という偏りからの脱却、清濁併せ呑む勇気。共に生きるということは認め合うこと、認め合うとは自身の弱さをも。そして決断するということ、目指すべき道を、ありたい姿を。 未来は自身が描くものだと感じています。自らが求める未来を描けないことを、他者を批判することで誤魔化してはならない、そのようにも感じています、自戒を込めて。


※当記事は2020年5月に執筆されました。

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